“謎と言えば、先日のこと。娘が「わからないことが色々あるよ」と言う。 うんうん。そうだろうねえ。「どんなことがわかんないの?」と聞くと、 「家ってなんで家って言うの?空ってなんで空って言うの?それがわからないんだ。」(怒った顔) それは家という言葉がどうしてできたか?ということ?語源の話し?漢字の勉強すればいいんじゃない?と言うと「そういうことじゃない、全然違う。」という。い・え という音のこと?何で ふ・え じゃなくて い・え なのかってこと?と聞いたら「もう違うっていったでしょ。何でわからないのよ」と怒り出したが私には質問の意味がさっぱりわからないもの仕方ない。そのあとたて続けに「どうして言葉は言葉なの?」とか「どうして名前は名前なの?」とか意味不明の質問を繰り返し、疲れた私が逃げようとするとすごく怒ってた。「どうして物には名前があるのという意味?」と聞いたけど、それも全然違うそうで。今日も「ねえ、ひらがなひょうはなんでひらがなひょうって言うの?・・・・(つづく)」
答えてやりたいんだけどお手上げ。意味のわかる方いらっしゃったら教えて下さいmm”
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謎 - bimbomの日記2 (via nopiko ambiguousmenace tzetze nnnnnnnnnnn pdl2h teotr nopnop sytoh realemotionaltrashbox)
「どうしてAはAって言うの?」から「どうしてAはAなの?」に変わって、また「どうしてAはAって言うの?」って戻ってるとこを見ると、この子の疑問も揺れてるようだ。疑問は涌いても、その疑問に上手に形を与えることができない子供(ま、大人も大差ないかもしれないけど)。というか今ちょうど疑問が形成されてる最中。上手に形になった分でしか、こっちも理解することができないので、この子の疑問がどこにあるのかよくわからないんだけど、世界が分割されてあることに──家とか空とか言葉とか名前とか平仮名表とか──違和感を感じたのかしら。「どうして家はあるの?」とか「どうして空はあるの?」とか言ってないとこからすると、何かが存在することに違和感を感じてるのではなさそう。或るものがそれとして在る(とされている)ことに違和感を感じてるみたい。それまで違和感がなかったのに、違和があることに気づいてしまった。そのままにしておきたくない。気持ち悪い。違和感を解消したい。だから考えざるをえない。どうかこの違和感が忘れ去られず、めでたく解消されますように。世界と仲直りできますように。
(via gimmegimme)
名前と名前をつけられる対象の間には、必然がありませんよね。何を対象とするかも、その切り取りかたも、意味の曖昧さも、全部が恣意的であって、そこに特定の音や文字が名称として付与される。そしてそれが「空は空である」というような、絶対的な関係として流通する。この子はそれが納得できないのではないでしょうか。
記号は本来恣意的なものです。私たちが「空」と呼んでいる対象は、もっと分割したっていいし、何かと一緒くたにしてもいいし、認識しなくてもいい。でも私たちはそれを特定の範囲で切り取り、「空」と呼びます。そこに必然性はありません。もちろん「空」という名称との対応にも必然性はありません(これは、この子のお母さんが言った「い・え という音のこと?何で ふ・え じゃなくて い・え なのかってこと?」にあたる部分です)。
音や文字との対応関係の恣意性は「英語を話す人はあれをスカイと言う」みたいな形で飲み込みやすいのですが、概念自体の恣意性と絶対性は、ちょっと簡単には納得できないんだと思います。
概念は恣意的なものではありますが、認識と思考の根幹です。だから絶対のものとして扱われなければならない。「空は絶対に空」でなくてはいけないわけです。そうでなければ人は世界を把握することができない。だから、「あなたの頭の上に広がるあれは『空』だ」ということは、疑いえない真実として子どもに提示される。
一方で子どもは、「ものごとには理由がある」とも教わっているし、日常生活の中で因果関係というものも理解している。
記号の本来的な恣意性と、恣意的であるにもかかわらず提示される絶対性と、ものごとには理由があるという日常的な真実に挟まれて、どうしても納得できない。そういうことだと思います。
記号に対するメタ的な理解が得られるまでは、お母さんがどれだけ一生懸命説明してあげても、怒り続けるかもしれません。
でもそれは「お母さんならそれを説明してくれる」という期待のあらわれなので、すごくいいことだと思います。
意味不明に見える抽象的な疑問を口にしても、馬鹿にしたりあしらったりせず、きちんと「うんうん。そうだろうねえ。どんなことがわかんないの?」と共感をもって対応してあげているからこそ、この子は安心して未熟な説明を開陳することができ(それができると鬱屈が減るし、説明能力も鍛えられます)、安心して「どうしてわかってくれないの!」と訴えることができるのだと思います。
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2010-05-13
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