“相手側の、というのは連合国側からみて、多少とも評価が高かった日本陸軍の将軍達、今村均、栗林忠道、本間雅晴、というようなひとたちが何れも傍系と蔑まれた「普通中学出身者」で、幼年学校の卒業生でなかったのは、よく知られている。
他の将軍たちから、いっさい削ぎ落とされた「ムダ」が、いかに彼等の見事な指導者としての資質を支えていたかは、たとえば今村均の「オランダよりも遙かに素晴らしい」と言われたインドネシア軍政を眺めればよく判る。
もうひとつ、この三人の将軍に共通しているのは自己の指示と行動に対する「責任」という感覚にすぐれていたことで、頼まれもしないのに部下達がいた劣悪な環境の現地収容所に東京の快適な収容所を拒否してまいもどった今村均にみられるように、このひとたちの念頭には常に「自分の行動への責任」ということが自分が指導者という、ときに非人間的な指示をださざるをえない立場にいながら人間でありつづけるためのよすがになっていた。”
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